たけとけたと片付かない部屋

製造技術の仕事や家事・育児、趣味について書きます。

勇者たちへの伝言 著者:増山実

みなさんは、「西宮北口」をご存知でしょうか?

「西宮北口」は阪急電鉄神戸線にある駅の名前です。神戸線と今津線の乗り換え駅で、特急電車と普通電車への乗り換えをする駅でもあります。西宮ガーデンズがあることでも有名ですね。「勇者たちへの伝言」は主人公が「西宮北口」のアナウンスを「いつの日か来た道」と聞き間違えて気まぐれで降りるところから始まります。

記憶を辿る中で、思いが交錯する物語

 ストーリーは主人公の工藤正秋が西宮北口駅を降りて、西宮球場を思い出す中で父親の過去や今までに繋がった人々との思いが重なっていく流れになっています。現代から話は始まりますが、人々の記憶を遡っていく中で昭和の空気感や野球チームである阪急ブレーブス、北朝鮮の話が出てきます。ピースの又吉さんが帯でも書いていますが、”物語の中にいろんな仕掛けがあってそれぞれがリンク”しています。派手なことは起こらないのですが淡々と思いが繋がっていく中で、心の深い部分を徐々に掴んで話さないストーリー構成となっています。

「阪急ブレーブス」が勇気を繋ぐ

 物語の中で、登場人物は「勇気」を口にします。それは自分を鼓舞するものだったり、人を励ます、慰めるものだったり、讃えるものだったりします。その勇気を「阪急ブレーブス」が繋いでいくストーリー展開は重厚でグッときます。プロ野球が当たり前でなかった時代の選手の苦悩や、戦争、在日朝鮮人への差別や社会主義国家の人々の戦いの日々で「勇気とはなんなのか?」や「勇気をもらって生きていく」ことの尊さを思い知らされました。西宮球場を本拠地としていた「阪急ブレーブス」が好きになれる小説でもあります。

北朝鮮の描写がすごい

 この本の中盤で「北朝鮮への移民政策」の話が出てきます。昭和40~50年代に日本と北朝鮮で行った政策で、在日朝鮮人が望めば「万景峰号」に乗って北朝鮮に帰ることができるというものでした。当時は冷戦の最中であり、北朝鮮は社会主義国家で人民平等であり「地上の楽園」と謳われ毎月のように何百人単位で日本から北朝鮮に人々が移り住んでいたらしいです。

 現実は現代の実情を知っている僕たちには想像に難くないのですが、北朝鮮への移民は地獄のような日々を送っていたようです。この小説の中では言論統制の生々しい描写や、食糧難に陥ったときに北朝鮮の中でどんなことが起こっているかを資料に基づいて鮮明に描いています。「国が貧しくなる」という感覚は僕には実感がなかったのでかなりショックでした。

 またショックだったのは、この移民政策が昭和58年までやっていたということです。僕は昭和63年生まれで自分が生まれるちょっと前までやっていたことになります。こんなことに日本が加担していたということを全く知らなかったです。それなのに拉致被害者の問題とかをニュースで見て「経済制裁が〜」と考えていたのはそもそも前提の知識量が違うので議論になってなかったと痛感しました。特に北朝鮮の国内事情は今も不明瞭ですので、小説に書かれているような悲惨な状況が今も起こっているかと思うと気分が悪くなります。そのぐらいショックな内容が生々しく描かれています。

「西宮北口」=「いつの日か来た道」の懐かしさ

 この切り込みがいいですよね。駅の名前ってただの記号なんですが、馴染みのある駅だと思い入れやくだらないエピソードがあるものです。僕も同じ阪急電鉄の「雲雀丘花屋敷」駅を友達と「うんじゃおかはなやしき」って言っては笑っていました。家に帰るためにはその手前の石橋駅で乗り換えないといけないんですが、話が盛り上がって終点の「雲雀丘花屋敷」まで乗っていってしまうんですよね。今思えば大した話はしていなかったんですが、そのときは自分たちが世界を変えてしまうようなとても大切なことを話し合ってた勢いでした。まだ自分たちで世界を変えれると信じてた頃です。

 「西宮北口」駅も僕が大学に通うときに乗り換えに使っていた駅でした。ちょうど大学生になったときに西宮ガーデンズができて遊びにいったのですが、お金がなくてほとんど買い物せずにながーいショッピングモールをくまなく歩いただけでしたけど。西宮ガーデンズが球場だったとは知りませんでした。なんていうか、僕らは一昔前のことだって全く知らないんだなあと寂しくなりますね。「いつの日か来た道」という言葉には西宮北口駅をアナウンスするような軽快なリズムがあるんですが、「はっきりしないちょっと昔の話」を想起させる言葉ですこし寂しいんですよね。小説の中では出てくるごとに言葉の深みが増していくので読み始めと読み終わりでは言葉の印象がすっかり変わってしまっていることもこの小説の面白いポイントです。

 「生き延びる勇気」をもらえる本

 この小説を読んで「生き延びる勇気」ってどんなものなのか感じることができました。登場人物はみな普通の、一般人です。そんな彼らに対する境遇はとても苦しくて、しんどいものです。うまくいったりうまくいかなかったりしながらも懸命に暮らしている彼らの中で、「勇気」が繋がっていく。「勇気」って簡単ではないけれど、どんな形でも勇気を持って生き延びることができると、この小説を読んで「勇気」をもらうことができました。

 「西宮北口」にゆかりのある人にはぜひ読んで欲しいですし、すごく読みやすいので小説をあまり読まない方にもおすすめです。とてもおもしろいです。

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫)

 

ではでは!