たけとけたと片付かない部屋

製造技術の仕事や家事・育児、趣味について書きます。

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「キュゥべえ」は資本主義社会における人間の振る舞いそのものである

今回はがっつりアニメ好きエントリです。

 魔法少女まどか☆マギカ、と言えば昨今のアニメファンなら押さえておきたいアニメの一つではないでしょうか?2011年の1~3月に放映された深夜アニメで、そのストーリーのギミックと可愛らしいキャラクターが負のスパイラルに陥っていく衝撃の展開に、当時のアニメファンの中で一大ムーブメントになった有名な作品です。最初は「なんだこれ萌え豚に媚びたクソアニメじゃねーか」と1話で切ろうとしていたのですが、3話から展開が変わりそこからは「こんなのってないよ、あんまりだよ」とか「ソウルジェムが濁る。。。」とか言いながら脚本家を呪いながら観ていました。

 

 その魔法少女まどか☆マギカで物語のキーとなるキャラクター「キュゥべえ」なんですが、最近になってようやく彼の言っていた本質が分かってきました。「キュゥべえ」は資本主義社会における人間の振る舞いそのもので、僕らはその人間が無関心にやってのける行為に怯えていたんだなあと。

キュゥべえと人間の捕食者としての行為は同じ

キュゥべえ」は少女と契約して一つ願いを叶える代わりに、魔法少女として魔女と戦い続ける宿命を与えます。「僕と契約して魔法少女になってよ」は有名な台詞です。実際は魔法少女を続けるという宿命がどういったものか、一つの願いをどのように叶えるのかという部分は明かさずに契約に持ち込み、魔法少女が絶望して魔女化した際の「エネルギー」を回収する役割を担っています。

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 キュゥべえ自身は「宇宙のエントロピー増大を防ぐためー」とか御託を並べていますが、人間からみたときのキュゥべえは人間の捕食者です。そこに一定の論理がいくらあろうと、捕食される方からしたら何の慰めにもならないわけであまり意味はないです。(作中ではそうやって追い込むことで回収するエネルギーを増大させる手法を取ってるとも言えます)

 この振る舞いは非情ですが、僕らが「家畜」と分類している動物に対してやっていることはほぼ同等です。これはキュゥべえ自身が作中で言っていますが、生命を管理して捕食するという点ではキュゥべえがやっていることも人間が牛や豚、鶏にやっていることと同じです。

 キュゥべえは感情エネルギーを効率よく回収するために、精神が成熟しておらず感情の起伏の大きい少女をターゲットにしていますが、僕たちも人間に都合のいい動物を家畜として選定してきました。紀元前9千年ごろから農耕文化が形成された時期と重なる形で酪農文化も形成されていきます。その頃は人間より大きい大型哺乳類も多くいましたが、人間が捕食して絶滅させ人間が比較的手懐けやすい動物が家畜として重宝されるようになりました。牛や豚はそのサイズや人間への害が少ないことから家畜として選ばれ、今日に至っています。そのときに牛や豚がどのようなことを考えたかなどは考慮されていません。あくまで人間の都合で決まったことです。

 キュゥべえが少女からいかに効率よくエネルギーを取り出すかを考えシステムを作ったように、僕たちは牛からいかに効率よく牛乳を生産するかに取り組んできました。これは一重に「そのほうがたくさん作ってたくさん売れて、儲かるから」です。牛たちが望んでそれを手伝っているとか、牛たちが人間に乳を渡すことを遺伝子的に定義されているからではありません。

 キュゥべえたちは魔法少女として活躍する力は与えますが、情緒が安定するような土力は与えず、不安定になるように仕向けています。魔法少女として恐怖に怯えながら戦い疲弊していくことこそがもっとも多くのエネルギーを取り出すことが可能だからです。僕たちも美味しい肉を食べるために家畜に上質な穀物を与えますが、健康にいい運動環境は提供しません。

キュゥべえの生産性向上の視点は資本主義社会のコンセプトそのもの

 こうやってみるとキュゥべえが人間を家畜として扱っているという構造ですが、これだけではないところがこの作品のインパクトを増大させています。それは「キュゥべえが科学的に考察して生産性を向上させている」という点です。

 物語のキーは主人公の鹿目まどかをいかにして魔法少女にするかという点ですが、キュゥべえは「将来もっともエネルギーを回収できるのはだれか?」を定量的に確認してターゲットを決めています。 そしてもっとも取れ高のある彼女からいかにして感情エネルギーを取り出せるかを試行錯誤していきます。そのために巴マミを仕向けたり、美樹さやか魔法少女に仕立て上げたりしています。暁美ほむらの策略が通じないのも、「どうすればまどかが魔法少女になってくれるのか?」を試行錯誤しながら行なっているためです。キュゥべえは彼女らのコミュニティに入りながら、選択肢を徐々に奪っていくだけでなく選択を間違えた際には考察し次の手を検討しています。(1話で暁美ほむらに襲撃された時にも、シチュエーションを選んでまどかと出会うことに成功していること、物語中盤でまどかが魔法少女になる動機をつくるために美樹さやかを魔女化する方針転換を行なっていることなどです)

 象徴的なのは映画である叛逆の物語だと思いますが、従来の魔女化による感情エネルギー抽出が行えない世界でいかにして効率的にエネルギーを取り出せるか・新しい概念をどうやって理解するかと考え暁美ほむらを使った実験を行なっています。これなどは人類が原子力を発見したようなもので、その実用化をどうするかという点にまでキュゥべえは踏み込んでいました。(実際はうまくいきませんでしたが、どういった作用があるのかを発見することで次の仮説が立てれたのだと考えられます)

 キュゥべえが他の人類に対する脅威と一線を画すのは、人間が食物連鎖の枠を超えて征服者となれた要因(想像力を基にした高度なコミュニケーション、発明、科学やテクノロジーetc...)に対する上位互換だったからです。例えばインデペンデンスデイのエイリアンは高度な文明と凶悪な習性を持っていますが、相手の思考を想像してはいません。力技しかないので人間の思考する力で対抗できる余地がありました。キュゥべえはなにも力は持っていません。暴力で人類を征服しようとはしていないです。しかし人類が征服されていると感じるのは後者の状態でしょう。

 僕たちも科学・テクノロジーの発展で生産性を向上させる、より豊かな世の中にできないかに関しては熱心ですが、資本主義社会における儲けと関係ない点には無関心です。例えば食用豚の精神状態の安定に関しては極めて消極的です。哺乳類において幼少期の情操教育はコミュニティに属するために必要不可欠であることは研究より明らかになっていますが、じゃあ子豚が生まれてしばらくは親の豚と一緒に暮らせるようにしようと提案する人はごく少数です。ただし精神が安定した豚のほうがおいしくなるとかあれば僕らは目の色を変えて実施すると思いますが。

資本主義のレール上で、誰もが無関心になれる

 これは資本主義における価値観に僕たちが毒されてしまっているからなんですよね。感情論としてはおかしいけど、現実にまかり通っています。動物にも優しくしようというのは普遍的な感情だし親や先生からも教えられるんですけどね。僕らは資本主義でのコンセプトである「役に立つものをより効率的に生み出す」という点を優先させ、他に対しては鈍感・無関心になる特性があるのだと思います。

 結論としては、「キュゥべえに対しての嫌悪感はすごいけど、それこそが現代の人間のもつ負の面として受け止めないといけない」です。

 今考えても色んな背景が見えてくるので、すごい作品だったんだなと思います。 マギアレコードやっぱりやろうかな・・・

ではでは!